日本の烏龍茶の市場を開拓したのは誰でしょう?【市島宋氏@台湾】

今では台湾で活動している筆者であるが、2003年から2010年までの一時期は日本の宮崎県に滞在しており、年に2回の茶摘みの時期には台湾に渡って製茶し、仕入れの様子などを中継しながら国内でネット販売を行うという形態であった。
現在でもこの形態は変わっていないのだが、以前から台湾の烏龍茶を日本で販売すると同時に、日本茶を台湾で販売できれば効率が良いなと考えていた。

商売の基本がお茶屋ということもあり、国内の茶園や加工業者とは自ずと面識が生まれ、幸いなことに宮崎県は国内有数のお茶の産地でもあるので日本茶の仕入れには事欠かなかったのだが、残念ながら台湾では日本茶が思うように売れなかった。

ちなみに、当時試してみたことは、ギフト需要が高まるお正月や中秋節のタイミングで新竹の科技園區の企業向けに社内販売の商品を提案するというものだった。
なぜ販売ルートで新竹の企業を選んだかというと、比較的所得も高く日本企業とも関係の深い彼らならば日本の文化に接する機会も多く、日本茶も入り込む余地があると踏んだのだが、全く当てが外れてしまったのだ。

考えてみれば、台湾にもレベルの高い緑茶は存在する。茶の品種も多く、それぞれ求める香りに応じて緑茶・烏龍茶・紅茶を作り分けるほどの台湾に日本茶を販売するということは、日本酒をワイン王国のフランスで販売するようなものかなと思う。
反省を簡単に述べれば「国内にあるのに、なぜ日本のものを飲まなければならいの?」の「なぜ」を埋める理由がなければ、新規開拓は難しいというものだ。

では「なぜ」台湾の烏龍茶が日本で売れたのか?
根底にあるのは「烏龍茶はダイエットに有効」という、いつのまにか定着したイメージが挙げられる。「ダイエットに有効だから飲む」という理由だけにブームの火付け役は女性なのだが、市場が成熟するに従い彼女たちの「どこにでも有るペットボトルの烏龍茶よりも本場の烏龍茶が飲みたい」、「本場の作法で茶葉から淹れてみたい」、「本場の烏龍茶は香りの種類も豊富」、「台湾の烏龍茶は安心」などという理由が重なり合って一つのコアな市場が形成されているのだ。

ではなぜ「烏龍茶はダイエットに有効」というイメージが日本で定着することになったのか?ご存知の方もいるかもしれないが、昭和の巨星「ピンクレディー」の二人がプロポーション維持のために毎日烏龍茶を飲んでいるとメディアが報じたことに起因していると言われている。その後、烏龍茶(茶葉)の年間輸入量が100倍以上に膨れ上がったと言われているから驚きだ。

その後、株式会社伊藤園が缶入り烏龍茶の販売をスタートし、自動販売機に冷たい「ウーロン茶」が並ぶことになるのだが、実は「冷たい烏龍茶」自体が「世界初」とのことで、さすが日本企業!と誇らしく思うのだ。

しかし、私が始めて缶入りの烏龍茶を飲んだのは小学生の頃であったと記憶しているが、せっかくの100円玉で買ってみたはいいものの、当時の「ファンタ」や「つぶつぶオレンジ」などとは似ても似つかぬ大人の味に呆然となったものだ。

「あれ?あれれれ?濃い麦茶?」缶の底の部分には、きっと溶け残った砂糖が残っていて、飲んでいるうちにいつかは甘くなってくるだろうと期待しながら最後の一滴まで甘く無いのである。それもその筈、無糖のお茶飲料なのだから。

それにしても「冷たいお茶飲料」に加え「無糖のお茶飲料」もこの時が始めてだったということで、ジュースはもとよりコーヒーまでが総じて甘かった時代に、よくもここまで斬新な商品を販売したものだと感心してしまう。

そうして考えてみると、日本における烏龍茶の市場は、「ピンクレディー」が美容と健康に良いというイメージを確立し、それを継承しつつ「飲料メーカー」がより便利な商品形態を提案したことによって広く開拓されたと言える。

そして2000年代はじめからは、逆に画一的な飲料商品から再び茶葉商品へと一部の顧客の嗜好が移り、より深くより高品質な烏龍茶を求めるニーズのおかげで筆者はビジネスをさせていただいているのだが、次はどの様な変化が烏龍茶という商品群に起こるのだろうか?ぜひ見極めたいものである。

それはそうと、80年代の飲料は、チャレンジ精神旺盛なメーカーが其々に個性的な商品を発表していたように思える。その中でも筆者が強烈なインパクトを受けた商品が有る。40代前後の読者ならば記憶にあるかもしれない「ヴァバ」というジュースだ。

メーカーは覚えていないがあの時代、いったい幾人の日本人が「ヴァバ」というフルーツの存在を知っていただろう?そして「ウ」に「"」を付けて「ヴ」。商品名ですよこれ。
可哀想に筆者の幼馴染なんか「(ヴ)が読めない、(ヴ)が読めない~!」とランドセルを背負ったまま自動販売機の前でしゃがみ込んでしまったほどだ。子供心に強烈に響いた感染力とインパクト!近い将来こんな商品を作ってみたいと憧れるわけです。

著者紹介

市島宋氏:台湾福茶代表

市島宋

1974年、宮崎県生まれ。宮崎産業経営大学卒。
スポーツインストラクターを経て、国内のエンジニア派遣会社に入社。主に台湾、韓国、アメリカで数多くの半導体・液晶パネル工場立ち上げに携わる。
2000年、偶然口にした一杯の烏龍茶に魅せられてお茶の世界へ転身、台湾省 茶業改良場の有機栽培研究員と共に約2年間現地の茶農家を渡り歩き茶業全般を 学び2003年に台湾福茶を立ち上げる。
現在も台湾を拠点に、馴染みの茶農家 達とお茶を作りながら活動している。

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