雲海に浮かぶ茶園【市島宗氏@台湾】

日本では、立春から数えて「八十八夜」(5月初旬)を新茶の時期と言うが、台湾では先月末から新茶のシーズンが始まっている。

台湾のお茶の産地は主に台湾島中部から北部に広がっており、まずは中西部に位置する南投縣の名間郷を皮切りに、まるで桜前線ならぬ茶摘み前線が北上してゆくわけだ。

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さらに、茶摘み前線は南から北に移動するだけではなく、海抜の低い茶園から海抜の高い茶園へも駆け上がってゆく。つまり、立体的に茶摘みの時期が移行するということは、北部で茶摘みが始まろうとするタイミングで南の高海抜茶園でも茶摘みが始まり得るということで、こうなるとお茶を生業としている筆者は椅子を温める間もなく台湾中を駆け回ることとなるのだが、今年もちょうどその真只中に突入した。

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ところで、私事で誠に恐縮なのだが、筆者が運営しているネットショップ『台湾福茶』が今年で10周年を迎えることができた。有難いことに生産者達も10年前と変わらず素晴らしい香りを作り続けてくれている。
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今年は彼らの元気な顔を見て回るだけでも楽しみなのだが、各地の茶園を訪ねていれば時に息を呑むような絶景に遭遇することもある。今回は、先週末に訪れたばかりの阿里山(ありさん)の中腹に位置する茶園の様子を紹介してみたい。

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阿里山(ありさん)とは、多くの山々が連なる山脈地帯の一般的な総称で、台湾を代表する景勝地でもある。1980年代半ば頃から、この中腹に位置する竹崎郷石棹地区(海抜1300~1600m)では茶園の開発が盛んに行われた。これが現在の台湾を代表する『高山烏龍茶』(海抜1000m以上の茶園で作られたお茶)の始まりであると言われている。

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私たちの茶園は、その竹崎郷石棹地区の原生林がそのまま残る山の頂上に作られている。

まるで映画ジェラシック・パークに出てくるようなシダ植物の群生。
かつて阿里山の中腹に広がっていた原風景なのだろう。台湾の生態系の豊かさを垣間見るようだ。

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斜面を利用して、石垣を組み段々畑にしてお茶を植えている。
これにより排水に優れた、茶にとっては良好な環境を作ることができるのだ。
しかし、ここまで見事な茶園を作り上げる開墾の労力は如何ほどのものだったであろうか、いつもながら農家の努力には脱帽してしまう。
足元に敷設された石段でさえも、一歩一歩が彼らの時間が生み出したものなのだ。

茶園の頂に立てば、その向こうは一面の雲海が広がっていた。

遠く望めは、阿里山連峰が大きく横たわっている。
最高峰は大塔山(2663m)と言われているので、この茶園からさらに1000m以上も登っていくことになるのだ。
上下から雲が押し寄せる中、自らもまた雲の中に立ち風景の点となれば、雲海とは正に言って妙たり。大海に漂流しているような、脈動する台湾島と対峙しているような、凛とした気持ちが湧き上がってくる。

秋と春は特に、冷たい空気と暖かい空気がぶつかることでこのような雲(濃霧)が発生しやすいのだが、これも茶の生育には好条件であるのだから、まさにこの茶園は天賦に恵まれていると言える。
山の天気は変わりやすく、ふと気付けば隣に鎮座する石棹山にかかった雲が晴れようとしていた。
まるで分厚い扉がゆっくりと開いて、奥から巨大な主人が姿を現すような迫力だ。

姿を現した石棹山では、茶摘みが行われていた。
白い雲が晴れて緑の美しさがより一層輝きを増す中で、人々が小さな点として働いている様子は、この大自然の中で我々はなんと小さな存在であるかと思う以上に、目前の石棹山はすでに本来の姿ではなく、人々によって農地化されて見事に機能している現実の凄まじさたるや、まさに息を飲む風景なのである。そして、人が定住するということがどれ程の影響力を発揮するかを考えさせられずにはいられない。

茶園を後にするとき、わずかな晴れ間に輝く茶樹はそんな私達の営みを讃えているようで、この先10年も100年も、この地に生きる友人の子々孫々に至るまで幸あるようにと祈りつつ石段を下った。

著者紹介

市島宋氏:台湾福茶代表

市島宋

1974年、宮崎県生まれ。宮崎産業経営大学卒。
スポーツインストラクターを経て、国内のエンジニア派遣会社に入社。主に台湾、韓国、アメリカで数多くの半導体・液晶パネル工場立ち上げに携わる。
2000年、偶然口にした一杯の烏龍茶に魅せられてお茶の世界へ転身、台湾省 茶業改良場の有機栽培研究員と共に約2年間現地の茶農家を渡り歩き茶業全般を 学び2003年に台湾福茶を立ち上げる。
現在も台湾を拠点に、馴染みの茶農家 達とお茶を作りながら活動している。

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