マレー鉄道廃線とシンガポール初上陸の思い出【岩田弘志氏@シンガポール】

6月30日深夜、マレー鉄道タンジョン・パガー駅から最後の電車が出発した。
マレーシア・ジョホール州のスルタン王、イブラヒム・イスマイルも乗車していた。
シンガポールは19世紀初頭までは彼の先祖が代々統べてきたジョホール王国の領内だった。

マレー鉄道はマレー半島を縦断する鉄道路線。マレーシアの鉄道会社「KTM Berhad」が運営。
1965年のシンガポール独立以来、北のジョホール州からシンガポール中心部のタンジョン・パガーまで細く長くマレーシアの土地がシンガポールの土地を貫く形となっていた。

「イースト&オリエンタル急行」はこの路線を使ってシンガポールとバンコクを結ぶ高級列車。
赤道直下の大都市からマレーシアの典型的な村、カンポンが散在するプランテーションの山々を抜け、タイ南部の田園地帯を通って古都バンコクへ達する。

近年になりシンガポールとマレーシアの両政府が協議をした結果、このシンガポール島内の細長いマレーシアの土地はタンジョン・パガーの駅舎とともにシンガポールへ譲り渡され、マレーシア側は昨年からカジノで賑わうマリーナ・ベイ・エリアでの投資機会を得た。

この最近の一連の流れをみていて丁度13年前の自分を思い出さないではいられない。

1998年6月、僕はこのマレー鉄道を使って初めてシンガポールへ上陸した。
マレーシアのあるIT特区を視察する傍ら周辺も見て歩こうとバンコクからシンガポールまで電車やタクシーや長距離バスを乗り継いで、
最後はマラッカに近いタンピン駅から電車でシンガポールへ向かった。

マレーシアとシンガポールをつなぐ土手、コーズウェイを通って電車がシンガポールへ入り、マレーシアに最も近いシンガポールの町、ウッドランズで一旦電車を降りてシンガポールへの入国審査。
タンジョン・パガー駅では改札近くでマレーシアの出国審査を受けた(そう、当時は通常の入出国の手続きは順番が逆に行われていた)。

タンジョン・パガーは市街と言っても港に近く周囲に華やかな店は無い。
駅から外に出た瞬間、「裏寂しいところにでた」という印象が残っている。
近くを歩いていたインド系シンガポール人に声をかけ、ホテルまでの行き方を聞いて、インド人街の安宿へ移動した。
その後数日間の街歩きで僕が降り立ったタンジョン・パガー駅や最初に宿泊したインド人街は、シンガポールを代表するにしてはすこし変わった場所だということが分かったが、
到着した夜のシンガポールの印象はそれが全てで平均値だった。

このシンガポール初滞在のときに仕事を見つけ、数ヶ月実家で考えたのち再びシンガポールの土地を踏むことになったのが同年の9月末。
一度ブランクはあったものの在住して既に約12年。
これほどまでに縁のある国とは当時は全く思っていなかった。

マレー鉄道は僕のシンガポールの原体験そのもの。
シンガポールの駅がウッドランズへ移り、
シンガポールをベルトのように斜めに走るマレーシアの土地が無くなってしまうことに多少の寂しさを感じずにはいられない。

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