おじいさんのランプ 【野瀬正一氏@シンガポール】

新見南吉の「おじいさんのランプ」という童話をご存じですか。

70年前の作品になります。かいつまんで説明すると、昔、巳之助という孤児がいた。彼は苦労して一流のランプ売りになり安定した生活を築いたが、ある日、村に電気が来るという話が持ち上がる。
「電気が来たらランプは用済み。自分の仕事がなくなる」と焦った彼は、電気の存在を恨み、導入を推進する区長の家に火を放とうとする。しかしマッチの代わりに持ってきた火打石に火がつかない。
「古いものはやはりだめだ!自分のしようとしていることは何の生産性もない」と気づいた彼は、家に帰り持っていたランプを木に吊るし、石を投げて割ってしまう。そしてランプ屋を廃業して町に出て本屋を始める、というストーリーです。

私は日本で何回か仕事を変えましたが、30歳くらいになると、どうしても過去に経験した分野にとらわれてしまうようになりました。当然、転職するということはプロを求められるので、未経験の分野に飛び込むことはなかなか困難です。しかし業界自体が斜陽化してしまうと、会社を移ってもなかなか良い結果が出ませんでした。もちろん自分の力の問題ですが、私が当時携わっていた飲食業という分野は厳しい業界でもありました。今から6年近く前ですが、夢を持って時間をかけて準備した店が、経営的にうまくいかなくなってしまったのです。私にとってそれは数回目の経験であり、その時にくだんの「おじいさんのランプ」が頭に浮かびました。

「自分は人よりも決して優秀ではない。ということは、斜陽化している業界、ひいては不景気な日本経済の中で、人よりも抜きんでることは難しい。何度も同じパターンに陥るのはその証拠ではないか。プロジェクトを次々に作ってそれに打ち込み、目をそらしていたが、自分の居場所はここにはなかったのだ。」

そう考え、日本を出てシンガポールに職を探しに来ました。

人生、何事も始めるのに遅すぎることはない。とは言っても、年を取ると臆病になったり動ける選択肢が減るのは否めません・・。動く前に勝算など全くありませんでした。しかしもしあのタイミングで店の経営が傾かなかったら、仕事がそこそこ順調だったら、自分は思い切りよく日本を出て来れただろうか?友人や家族を説得して飛び込めただろうか?今は何をしていただろうか?
そう思うと、「おじいさんのランプ」の巳之助には、70年の時を越えて親近感を覚えずにいられません。

おじいさんになった巳之助が、最後に孫に言って聞かせる言葉も秀逸でした。
「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしの商売のやめ方は、自分で言うのもなんだが、なかなか立派だったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ、日本が進んで、自分の古い商売がお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでも汚く古い商売にかじりついていたり、自分の商売が流行っていた昔の方がよかったといったり、世の中の進んだことをうらんだり、そんな意気地のねえことは決してしないということだ」

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