遵法主義を超えた博愛精神(マニラ市街戦から受け継ぐ絆のバトン 続編)【渡邊崇之@台湾】

前回の続編として、自らの命と引き換えに台湾人日本兵を救った廣枝音右衛門氏 のお人柄について書き記してみたい。

廣枝音右衛門氏は1905年(明治38年)12月23日、現在の小田原市にある神奈川県足柄下郡片浦村で生まれた。
日本大学の予科に入学した後、1928年(昭和3年)に陸軍歩兵隊に入隊し、軍曹として軍務を経験している。
その後、湯河原で小学校教師をしたが、1930年(昭和5年)には退職し、 台湾警察官を志して台湾に渡ることになる。
台湾に渡ってからは警察官として順調に出世をし、1942年(昭和17年)には 警部にまで昇進している。
その後、1943年(昭和18年)に海軍巡査隊の大隊長として、台湾人巡査隊のフィリピン派遣 総指揮を任されることとなる。

廣枝氏はその分け隔てない慈愛の心、博愛の精神で台湾民衆から幅広く愛され、 「ひろえ警部、ひろえ警部」と慕われていた。
ちなみに、名字は「廣枝(ひろえだ)」だが、台湾では「ひろえ」という愛称で 親しまれていたようだ。
前回コラムでも登場して頂いた廣枝氏の部下で、ただ一人ご存命の劉維添氏も 廣枝氏のことを今でも「ひろえ警部」、「ひろえ隊長」と呼んでいる。

劉氏は元々は警察官でなく、志願して海軍巡査隊に入隊した為、 廣枝氏と出会うのは海軍巡査隊が組織された1943年(昭和18年)12月のことだ。
その為、実際に廣枝氏と行動を共にしたのはわずか1年数ヶ月ではあったが、 昨日のことのように懐かしみながら、数々のエピソードを語ってくれている。

その劉氏によると廣枝氏は決して怒ったり、叱ったりするようなことは無かったそうだ。
叱るべき時は常にゆっくりと、かつ、しっかりとした口調で諭していた。
常日頃からその威厳だけで十二分に尊敬と畏怖の念を抱いていた隊員達は、 諭されるだけでもすぐに姿勢を正したと言う。

日頃の言動からにじみ出る仁徳というものは、時に無言でも人を従わせる力を持つ。
逆に、常に怒鳴り声を張り上げる上官は仁徳の無さの裏返しということにもなろう。
劉氏ら台湾人巡査隊はそれを敏感に感じ取っており、廣枝隊に属する自分達を 誇りに思っていたそうだ。

また、マニラ郊外のラスピニヤスにおける飛行場建設現場でのこと。
建設には捕虜約600人を使役し、廣枝隊はその監視の任務を担っていた。
その捕虜の通訳には朝鮮人がいた。その朝鮮人がことあるごとに、 捕虜に暴行を加えていた。
廣枝氏はその状況にひどく心を痛めて部下達に、
「捕虜と言っても我々と同じ人間なのだから、あのような真似は決してしないように。  慈愛を持って接してやってくれ。」
と諭したと言う。

前回のコラムでも記したが、戦闘中では、重傷を負った部下達を抱き寄せ、 大声で名前を呼び、目には涙をためながら励まし続け、 迫撃砲弾が降り続く中、危険を顧みず5キロも離れた病院へ重傷者達を自ら護送した。

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これらの話を聞くにつけ、廣枝氏の博愛精神が良く伝わって来る。 この精神は台湾での警察官時代にも同様に発揮されていたようだ。
劉氏はフィリピン派遣以前の廣枝氏と一緒に勤務していた台湾人巡査から エピソードを聞いていたようなので、そのいくつかを紹介したい。

廣枝氏が司法主任だった時のこと。
当時博打を厳しく禁じていたが、台湾では未だ博徒達が数多くいた。
博打で捕縛されると、どんなに軽くても29日以上の拘留が待っていた。

しかし、廣枝氏は杓子定規には日数を決めず、心から反省していると認めた 博徒には拘留期間を短縮するなどの措置を取り、博徒の積極的な更生を心がけていた。

またある日、巡察中に木陰で賭博をしている者達を発見すると、 その博徒達はすぐにちりぢりになって逃げ出して行った。
台湾人巡査の部下が追いかけようとすると、それを制止し、次のように諭した。

「処罰することが目的では無く、人々の悪習を矯正して教化することが真の目的 なのだから悪いと認識して逃げた者達を無理に追い詰める必要は無い。 彼らもわかっているはずだ。」

当時の警察官は単に治安維持だけでなく、民衆の教化全般まで担っていた。
遵法意識がはっきり定まっていない当時において、民衆の遵法意識を高めることと同時に、 極度な法治偏重主義に陥らず、慈愛を持って接し、民衆との信頼関係を築いて 教化するという高度なバランス感覚が求められていたはずだ。
当時の日本人警察官、教員の中にはこの高度なバランス感覚を発揮して、 台湾民衆から慕われたエピソードが数多く残っている。
そして時にはそのバランスの中で苦しみ、自ら命を絶つことで その使命を果たそうとした者もいた。

廣枝氏のマニラ戦地での自決もこの狭間に立たされた末の究極の決断だった。
多くの上官は軍司令部からの命令を忠実に守り、部下に突撃を命じた。

それを自らのところで 差し止めてでも台湾人部下を守ろうとする覚悟は当時の情勢から鑑みても死を持ってしか 果たすことが出来なかったであろう。

時には命令に背いても、法を犯しても成し遂げねばならぬことがある。 真に守るべきものは何か?自らが果たすべき役割は何か? 頭だけでなく体の真髄にまでその答えがはっきり沁み渡っていないと、出来ぬ決断であろう。

今年も慰霊祭が来月の9月25日(日)に行われる。今年も静かに祈りたい。
死しても尚、確かに生き続けている廣枝氏が遺したこの「守り通したもの」を感じる為に。

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