廣枝音右衛門

2011年廣枝音右衛門氏慰霊祭ツアーレポート

【多種多彩な参加者】
去る9月25日(日)、マニラ市街戦で台湾人日本兵を救う為責任を取って自決された 故廣枝音右衛門警部の慰霊祭が行われました。
参加者は年齢が6歳から88歳まで、台湾からは元より日本や香港からも駆け付けて頂きました。
総勢36名での慰霊祭となりました。

日本語世代を中心とした平均年齢80歳近くになる在台日本語学習サークル「友愛会」の皆さん。
主に澎湖島ツアーで来台されていた日本李登輝友の会の皆さん。
台湾在住作家で台湾の歴史、鉄道、観光情報関連の数々出版や講演を されている片倉佳史さんと片倉さ
んの呼びかけで集まった在台日本人留学生の皆さん。
LinkBizからの呼びかけで参加して頂いた皆さん。
そして、LinkBizの香港特派員で「ルパンの香港通信」のコラムニストである松本博明氏も同志を 引き連れてわざわざこの為に香港から駆け付けられました。
本当に多方面から本慰霊祭に関心を寄せて頂き、誠に有難うございます。
特に若い方々の参加が継続の鍵となります。
今年は例年に比べ平均年齢がぐんと若返りましたので、来年以降より多くの方に広がる期待が持てる参加者構成 となりました。

【大型バスで台湾12大景勝地の獅頭山へ】
台北出発組は大型バスで朝8時に台北駅を出発し、一路獅頭山へ。休憩をはさみ約2時間半の旅。
自己紹介をしている間にあっという間に獅頭山に到着しました。
台湾の12景勝地にも数えられている獅頭山。
風光明媚な山の風景、そして馴染むかのような点在する多数の寺院群に参加者達も息を呑んでいました。

【廣枝音右衛門警部の率いた部隊唯一の生存者でいらっしゃる劉維添氏と対面】
獅頭山の駐車場から山の階段を上り10分ほどで慰霊祭会場である勧化堂に到着します。
勧化堂ではマニラ市街戦で廣枝音右衛門警部と共に戦った劉さんが私達を待って下さっておりました。
劉さんは1976年(昭和51年)に生還者有志と慰霊祭を開催し、以来一度も欠かすことなく 慰霊祭を齋行されていらっしゃいます。
5年前には戦友は皆お亡くなりになり、生存者は劉さん お一人になってしまったそうですが、それでも劉さんはお一人で慰霊祭を行われたということでした。
その直後に、弊社代表である渡邊が獅頭山を訪れ、劉さんとお会いしました。
劉さんがその年からお一人で気丈にも慰霊祭を続けられていることを知った渡邊は、その事にとても感動し、その翌年の 慰霊祭から、知り合いを連れて、台北よりバスで慰霊祭ツアーを開催して来ました。
そのツアーも今年で4回目になります。

【獅頭山住職さんによる読経のもと、慰霊祭が始まる】
まずは劉さんから廣枝警部へ今年の慰霊祭開催の報告がなされました。 あたかも66年前が今日に蘇ったかのような劉小隊長による廣枝大隊長への報告に、 一同、背筋を正して耳を傾けました。

「隊長!今日はわざわざ遠方から渡邊さんの呼びかけで友愛会・李登輝友の会始めとする多くの皆さまが駆けつけて下さいました。 日程の都合上、本来9月26日の開催をを一日早めまして本日執り行うことをご報告致します。 それでは、これから慰霊祭を開始致します。」

そして、各団体の代表者が線香を捧げしばし、住職さんによる読経に耳を傾けながら、一同全員手を合わせて拝みました。

【勧化堂の会議室にて劉維添さんの講話に耳を傾ける】
さて、慰霊祭の次は劉さんによる当時の経験談をお話しいただく時間です。 勧化堂の上の会議室にご案内頂き、そこで劉さんに語って頂きました。
体験談の詳細内容は弊社代表渡邊のコラムにも記載されておりますので、こちらを ご参照下さい。

第6回 マニラ市街戦から受け継ぐ絆のバトン

第7回 遵法主義を超えた博愛精神(マニラ市街戦から受け継ぐ絆のバトン 続編)

戦地での数々のご苦労、廣枝警部を心より慕う劉さんのお気持ちが参加者にひしひしと伝わって来ます。 講話の最後に感極まられ、資料で顔を隠されながら必死に嗚咽を抑えられていた劉さんの姿が 感動を誘い、参加者達も当時のご苦労に思いを馳せ感涙にむせぶのでした。
講話後の質疑応答は後を絶たず予定時間を大幅に超えましたが、参加者にとっては大変充実した 感動の一時となりました。
最後は万雷の拍手で劉さんへ感謝の意を表しました。

【勧化堂併設のレストランで精進料理をいただく】
講話が終わると、お寺の精進料理をいただきました。テーブルに乗り切らないほどの数々の料理が出てきて びっくり。どれもこれも肉類を一切使わない身体に良さそうなものばかり。
皆美味しそうに舌鼓を打ちました。

【バスで南庄へ移動】
獅頭山を後にして、バスで10分ほど先にある南庄という街に移動しました。
ここは劉さんの現在のお住まいでもあります。
日本統治時代、第4代総督であった乃木総督がこの地へ赴き、ぬかるみであった坂道に当時の通貨50円を 私費で投じて、坂を作られた「乃木坂」がこの街の観光名所にもなっています。
また、乃木坂を登ったところには日本時代の郵便局も
観光地化され開放されています。
日本時代の建築物がこの街の重要な観光資源となって
おり、日曜日である当日は多くの日帰り観光客で 溢れ返っていました。
郵便局の向かいには日本時代の南庄郷長が住んでいたという日本邸宅が残っています。
ここは実は劉さんの奥様の実家なのだそうです。参加者は劉さんの「顔パス」で一緒にお宅へお邪魔させてもらいました。 日本時代から続く松の木の下で記念撮影! 今や台湾でも松の木はとっても珍しいんだそうです。

【一路台北へ】
南庄での小一時間の散策も終わり、劉さんや同行頂いたお孫さんに見送られながら一同はバスに乗車して 一路台北へ戻りました。
台湾苗栗県から現地集合で参加された我らがLinkBizコラムニストで「台湾茶の山ばなし」を執筆中の市島宗さんと お二人の息子さん達ともここでお別れ。
子供の頃からこのような経験をされていれば、きっと立派な日台の架け橋役となられることでしょう。
頼んだぞ!市島兄弟!ちなみにこの兄弟は弊社で東日
本大震災の義援金を募った折に、大切な 貯金箱を丸ごと寄付してくれました。とっても正義感溢れる前途有望なお子さん達なのです。

【帰路も興奮冷めやらず】
帰路のバスの中は参加者の皆さんで感想の共有を行いました。 「劉さんの感極まったお姿が今日の全てだと思います。その意味をしっかり噛みしめたいと思います。」 「普段の留学生活では絶対に経験できない貴重な体験をさせてもらいました。これをより多くの周りの人達に伝えて行きたいと思います。」 「来年開催は何日になりますか?」 など、参加者の皆さんがこの経験を次に向けて思考を巡らされていることが伝わって来ました。
台北駅に到着した後も、更に有志達が集まって、今日の振り返りを行っていました。
それぞれの心に刻まれた一日となったようです。

【LinkBiz事務局より】
台湾で生活させて頂いている在台日系企業の私達は経済的な結びつきは元より、 文化的、精神的な日台の絆を深める寄与することで少しでも社会貢献に役立ちたいと思っています。
来年もこの企画は継続して参りますので、皆さまのご参加をお待ち申し上げております!
以上、現地ツアーレポートでした。

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