台湾紅茶の父・新井耕吉郎(その1)【市島宋氏@台湾】

台湾を代表する観光地『日月潭』を見下ろす高台に、茶の研究機関である『茶業改良場魚池分場』はある。

小高い山の上に日本統治時代に建てられた製茶試験場が今も鎮座し、眼下に日月潭を望む斜面には茶畑が広がり、空の青と湖の青に挟まれるように茶と南国の木々が広がる様子は、なんとも言えない広々しさで心地よい。

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霞を越えて前方遠く、日月潭から手前に視線を戻してくれば、太陽を受けながら輝く茶の葉の一つ一つが大きく緑が濃いことに気付かれるかもしれない。

これらは、私たちが見慣れた日本茶や台湾烏龍茶の原料が中国を原産とする小葉種に大別されるのに対して、大葉種と呼ばれるインドを原産とする品種なのである。

なぜ台湾にインド原産の品種が存在するのか?

そこには日本統治時代末期から国民党政権時代に渡って活躍した日本人技師、新井耕吉郎の物語がある。

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当時の茶は、領有中であった台湾を含む日本全体にとって重要な輸出品目であり、東南アジア向けの半発酵茶、アメリカ向けの緑茶などが生産されていたが、イギリス領インドが紅茶の優良品種アッサムのプランテーションを成功させたことで世界的に紅茶の需要が広がり、それに伴い日本産緑茶の有力な消費地であったアメリカでも紅茶に市場を奪われる事態が発生していた。

極めて紅茶に適しているアッサムの大量生産により、それまで最大の生産地であった中国がインドにその座を奪われ、世界的な需要も緑茶・半発酵茶(烏龍茶)から紅茶へとシフトするという大変換期を迎えていたのだ。

少し細かい話になるが、紅茶は緑茶や烏龍茶と比べて劣化しにくく、エージングにより風味を高める特徴を持つ。
今でも紅茶の生産者達には、出来上がった紅茶を貯蔵庫で1年ほど寝かせて香りに深みを持たせて出荷することを鑑みれば、当時の輸送技術からしても酸化に強く品質管理が容易である点において紅茶は極めて優秀な商品であり、世界的な市場に大きなイノベーションをもたらしたのだった。

このような市場動向のなか、当時の日本も世界に通じる紅茶を生産すべく、アッサム種が栽培可能である地域を温暖な台湾に求めたのだ。

新井耕吉郎が台湾の地を踏んだ時代にはこのような背景があった。

 

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