烏龍茶と台湾の深~い関係【市島宋氏@台湾』

第1回 烏龍茶と台湾の深~い関係

旅行にしても仕事にしても、台湾を訪れて当地のお茶の香りに魅せられた方は多いのではないでしょうか。

小さな急須を使い丁寧に淹れられたお茶は、ときに青い果実や水辺に揺れる可憐な花のように爽やかに香り、またときには完熟果実や蜜を想わせる甘く豊かな香りで私達の心身を包み込んでくれます。

幸運にも優秀な作り手や天候に恵まれた一杯に出会うことができたなら、それは香りの世界への招待状、すでに踏み入れた第一歩に違いありません。

かく言う私も台湾のお茶にメロメロに魅せられた一人であり、「好きが高じてなんとやら」今では季節毎に地方の茶農家を渡り歩き、彼らと共に製茶したお茶の販売を生業にしている次第です。

当コラムでは、別名『フォルモサ』とも呼ばれる台湾で生まれた銘茶の数々と、その美麗なる香りを育む『人』と『土地』にスポットを当てながら台湾を素描していければと思います。

さて、今回は『烏龍茶』に隠された台湾のお話。

例えば、友人に台湾の烏龍茶を送ったとします。

お礼の電話の中でその友人から「一体どこからこの香りが生まれてくるのだろう?」と聞かれたならば、「『発酵』という工程がこの香りを生む」と言い切ってもそれほど乱暴な話ではありません。

この『発酵』を軽く施すか重く施すかの差こそあれ、茶葉をある程度『発酵』させて作るお茶全般を『烏龍茶』と言います。

台湾茶の多くがこの『烏龍茶』として製茶されたものです。

一方、我々に馴染み深い日本茶は、茶葉を発酵させずに作る『緑茶』に分類されます。

日本茶の「朝日に若葉が輝くかの如く鮮烈な緑の香りと豊かな旨味」は、言うまでもなく皆様に愛されている所以ですよね。

ちなみに、日本茶の起源は、中国に渡った栄西禅師が喫茶の文化を持ち帰ったと言われていますが、なるほど栄西禅師が修業された天台山万年寺は、現在でも緑茶の名産地である浙江省にあるのです。

当時から禅寺では、茶が修業中の眠気を払い精神を清らかに保つことから喫茶の習慣があったと伝えられていますので栄西禅師は禅と共に喫茶の文化を日本に持ち帰ったのでしょう。

ところで、中華圏で作られるお茶の殆どが『緑茶』であることはご存知でしょうか?

実は『烏龍茶』の産地は主に福建省と広東省で、全体比では約2割程度の意外にマイナーなお茶なのです。

そこで、どうして台湾で作られるお茶の殆どが『烏龍茶』であるのかを考えたときに、大陸から台湾へ渡ってきた人々の多くが福建省、もしくは広東省出身者であったことを物語っています。

また、ひとえに『烏龍茶』と言いましても、福建・広東時代の伝統を色濃く残すものから台湾で独自に発展したものを含め、大陸から由来している彼らのエスニックグループや氏族が少なからず根底に関わっていることを垣間見ることができ、それらの延長線上に台湾茶の豊かなバラエティが存在していることは、下記に挙げる台湾の代表的な烏龍茶からも感じていただけることでしょう。

  • 文山包種(台北縣)・・・・條型の茶葉の形状、名前の由来に福建省北部、武夷山周辺の影響が残る。(花のように爽やかな香りの烏龍茶)
  • 木柵鉄観音(台北縣)・・・硬く揉み込んだ球型茶葉の形状。福建省南部、安溪縣の鉄観音の苗木を張氏が移植。(完熟果実のような重厚な香り)
  • 東方美人(桃園縣・新竹縣・苗栗縣)・・・幼葉の形状をそのまま残す自然條型茶葉。広東省梅縣周辺から渡ってきた客家系の農家が多い。(濃蜜に例えられる甘く芳醇な香り)
  • 凍頂烏龍(南投縣)・・・比較的硬く揉み込んだ半球型茶葉。福建省から苗木を移植したという伝承が残る。(蜜を持つ花の甘くやわらかな香り)

このように台湾の烏龍茶は、それぞれが強烈な個性を保持しながら『中国茶』ではなく『台湾茶』という1つのカテゴリを形成するに至っておりますが、その要因は80年代の台湾経済の発展による茶の内需拡大や品質の向上だけではなく、台湾が歩んできた歴史そのものに起因するような、まるで現代台湾に生きる人々をも映し込んだ1つの縮図を見るようでとても興味深いのです。

著者紹介

市島宋氏:台湾福茶代表

市島宋

1974年、宮崎県生まれ。宮崎産業経営大学卒。
スポーツインストラクターを経て、国内のエンジニア派遣会社に入社。主に台湾、韓国、アメリカで数多くの半導体・液晶パネル工場立ち上げに携わる。
2000年、偶然口にした一杯の烏龍茶に魅せられてお茶の世界へ転身、台湾省 茶業改良場の有機栽培研究員と共に約2年間現地の茶農家を渡り歩き茶業全般を 学び2003年に台湾福茶を立ち上げる。
現在も台湾を拠点に、馴染みの茶農家 達とお茶を作りながら活動している。

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