アジア起業家インタビュー 第1回 乾杯股份有限公司 社長 平出荘司様

台北に住む人ならば誰もが知っている超有名店焼肉店の「乾杯」。 日本人の舌をも満足させる高品質な肉とバブル期の日本の居酒屋を思い起こさせる威勢の良い接客サービス
若い人から年配の方まで多くの台湾人の心をつかんではや10年以上。 現在も快進撃を続けているその舞台裏にはどのような秘話が隠されているのか。 創業者の平出荘司氏にお話を伺った。

Q:台湾で焼肉事業を始めるきっかけになった経緯をお聞かせ下さい。

 バブル期の日本の居酒屋でのあるバイト経験

高校時代、渋谷のちとせ会館にあった「村さ来」の本店でアルバイトしていました。
当時はバブル絶頂期で学生さんのコンパなど連日の大賑わいでとても華やかな空間でした。 自分の飲食店における雰囲気作りの原体験になっています。

 ホルモン焼チェーン店社長との出会いと母の死による株式譲渡

母親が台湾人という関係もあり高校卒業後台湾に留学に来ました。その時、母に紹介された一人のホルモン焼チェーン店の社長が台湾で店を出すため、 手伝ってくれないかと誘われたんです。
その社長は「儲かった利益を日本に持って返るつもりはない。 ただ、台湾に焼肉の文化を伝えたい。」と熱心に訴えられ、その心意気に感動して一緒にやらせて頂くことになったんです。
実際に、その社長の日本のお店に修行に行って勉強し、台湾のお店を実際に 任されることになりました。 ホルモン焼という業態から経営の極意までその社長からは多くのことを学びました。
ところが、台湾のお店をオープンさせた2ヵ月後母が突如、癌を宣告され亡くなってしまうんです。
母は私を枕元に呼び上の3人の兄姉には結婚資金として300万円づつ残してきたがあなたはまだしばらく結婚しないだろうからとこのお店の株式20%分を与えてくれました。
その代わりここで働いて生活費と学費を稼いで必ず大学を卒業しなさいと言われました。 その後、必死で働いた甲斐あって、そのお店は繁盛し、生活費や学費も自分で捻出 できるまでになりました。

 師匠と袂を分かつ

一見、順調にうまく行っているかに見えたのですが、実は問題が起こっていたんです。 社長にお店の金がどんどん持ち出されて行ってしまうんです。
まさかに前言翻して日本に持ち帰った訳ではなかったのですが、実は林森北路のママの ところに流れて行っちゃってまして(笑)。 お世話になった社長ではあるのですが、う~ん、これではいけないなと。 ここで気付いたんですね。
株主がいるといろいろ大変だなって。 最初は自分の給与が出るか出ないかの瀬戸際で努力して、ようやく儲かったと思ったら 今度は背後からお金がなくなって行って。
儲かっても儲からなくてもこれじゃ、大いに問題ありだな、と。 それで、袂を分かつ決意をしたんです。

 焼肉屋経営の日本人女性からの誘い

画像の説明

そんな折、台湾で別の焼肉屋を経営している日本人女性から、店を全て処理して日本に帰りたい ので、店を引き継がないかと誘って頂きました。
最初はお断りしていたんですけれども、ずっと声を掛け続けて下さいました。 ずっと悩んでたらとうとうそれが夢にまで出てきたんです。
ある女性が枕元に立って「絶対やった方が良いよ」ってささやくんです。 その頃には譲渡金額もぐーんと下がってまして(笑)、またそのような「お告げ」もあり、最終的にやることに決めました。 それが今の本店の1号店です。
今から11年前の1999年のことです。 僕はその女性を「焼肉の神様」と呼んでいます(笑)

Q:その記念すべき「乾杯」1号店の立ち上がりは如何でしたか?

 以前の店をベースに「8:2の法則」で師匠超え

最初はまったく入らなかったのですが徐々に口コミで広がり数ヵ月後はお客様で一杯になりました。戦略は当時「8;2の法則」と言っていたのですが自分が以前働いていたお店の8割の値段で2割ほどメニューを増やしてサービスも徹底してイベントも行いました。
とにかくお客様が帰らずに2時間でも3時間でもずっと待ってくれていたんです。もうこれはここまで待ってくれるお客様のためにも2号店を開かなくてはいけないなと思いました。

Q:「乾杯」と名付けた由来はどんなものだったんでしょうか?

 「乾杯」命名の陰に本田宗一郎の影響あり!

5つほど理由があるんですが、まず1点目その当時本田宗一郎さんの本を読んで最大の後悔は自分の苗字を社名に付けたことだっていう節がありましてね。
やはり会社はパブリックなものであって、自分のプライベートなものを前面に出してはいけないなと思ったんですね。
当時師匠の店でやらせて頂いていた時もやはり師匠の個人の名前が付いていましたが、案の定公私の区別が曖昧なところに自分が嫌気が差したところもありましたから、それは避けたかったんですね。
2点目には中国語と日本語で意味が全く同じもので、台湾人にも日本人にも分かりやすいものを付けようと思っていました。
2点目には中国語と日本語で意味が同じで、台湾人にも日本人にも分かりやすいものをしたいと思いました。
3点目にはオーストラリア人の友人がいつも手紙で最後に「Cheers」って書いてきてくれてそれがとても印象的だったですね。4点目はお客様に焼肉食べながら生ビールをがんがん飲んでほしいという想いと最後に焼肉って一人で食べても美味しくないし「乾杯」って一人で出来ないじゃないですか?大勢で来てもらいたいという、いろいろな意味を込めて「乾杯」と名付けました。

''Q:「乾杯」のお店はどこへ行っても従業員さんがとても明るくて元気がよくフレンドリーに接してくれますよね。
1店舗ならまだしも、12店舗になった今も脈々とその文化が受け継がれているのはそれなりの理由があるのだと思うのですが、ご自身ではどのように認識してらっしゃいますか?''

 単なる焼肉屋ではない。「焼肉居酒屋の文化」を伝えるのが自分たちの使命

やはり第一は従業員に我々の使命をちゃんと伝えることだと思います。我々の使命とはこの素晴らしい焼肉そして居酒屋の文化を伝えるということです。それは事あるごとに繰り返し繰り返し伝えるようにしています。

 人がわくわくするようなことをする

第2に人が面白いと思うことやわくわくすることをやることだと思います。とにかく人を喜ばしたり驚かせることが大好きなんですね。
ちょっと話がそれてしまうかもしれませんが、例えばこんなエピソードもあります。 スタッフの中に役者を希望していたのですが、うちの店で働いてくれることを 引き換えに役者の道を断念していた子達がいたんです。
社長としてそれは申し訳ないな、なんとかしてあげたいなあと思っていました。
と同時に、この記念すべき1号店をなんとしても永遠に残しておきたいとも思いまして、 当時ひょんなとこから知り合った映画監督と話をして、うちがスポンサーになって、 うちの店とスタッフ達をストーリーにした映画を実際作っちゃったんです。
もちろん、その役者希望のスタッフをキャスティングしました。 それをインディーズ・ムービー・フェスティバルという映画祭に出品したところ 見事準グランプリを頂けたんですよ。
映画撮影の為に、2つの部隊を作りましてお店と撮影を交代で担当させたんです。 後にそれが、2号店へと繋がっていくという波及効果も生みました。

Q:快進撃を続ける「乾杯」ですが、急成長の裏にはたくさんの ご苦労があったことと思います。急拡大していく中でも、それに順応する 組織を作っていくことはたやすい事ではないと思いますが、どのようにして 組織を引っ張ってこられたのでしょうか?

 共通の目的を実現する為に自分達が変われるか?

画像の説明

飲食の諸先輩方が常々おっしゃるのは1店舗の経営と3店舗の経営は違うし3店舗の経営と30店舗の経営は全く違うということです。
その為には常に過去の成功体験を捨て去り、自分たち自身が更なる高みに向けて変われなければいけないわけです。 この変われるか、変われないかがポイントであると考えており現時点で私達は「変わることができた」と思っています。
しかし自分は「会社」という組織に属したことがありませんから、「会社」というものがわからない。ですから、知恵を持ち、尚且つ組織を作れる人間に入っていただかなければならない。
幸運なことにわたしにとってのそんな人物が私の同級生達でした。 自分は本当にそれぞれの時代の同級生達に恵まれました。ありがたいことに小中学校、語学学校、大学の一番仲の良かった同級生が会社にいてくれます。
彼らがそれぞれ必要な時に自分を助けてくれました。彼らは皆僕より頭が良くて自分の先生としていろいろな知識を与えてくれます。 現在副社長が2人おりますが、両方とも僕の同級生です。
そう考えると常に自分は幸運だなと、とても感謝しています。もちろんずっと一緒にやってきて結局変われないで去っていった幹部やスタッフも少なからずいます。
大切なのは「なぜ変わらなければいけないのか」という本質的課題に答えを持っているかどうかだと思うんです。 やはり僕も一経営者としても、一ファンとしても大好きなこの「乾杯」の文化を後世に残していきたい。
その為には、自分達が変わり続けなければいけないんだと思っています。 先ほど言っていた同級生にしても同級生であるにもかかわらず今ではそれぞれの役割を演じてくれています。
そんな彼らを僕は本当に尊敬しています。 もちろん、僕もそれに応えなければならないそう思っています。

 従業員に何が与えられるか?

もう1つは従業員に会社として何を与えてあげることができるのか?ということかと思います。
先ほどお話した1号店の成功要因の一つでもあったんですが、当時は雰囲気を持ったセンスの良いスタッフ達が多数入ってきてくれてそのお陰で、お店の雰囲気作りが出来て店が繁盛したということが大きかったと思うんですね。
しかし、残念ながら台湾における飲食業界の立場って日本もそうだと思うんですが、相当低いですよね。
ですから当時アルバイトで大学を卒業してもここで残って働きたいといっても両親の猛烈な反対にあって続けられなかったりということがしばしば起きていました。
でもみんなこの仕事が大好きなんですよね。飲食業だけれども誰でも知っているような立派な会社にして安心して働けて定年の際は「本当にいい会社で働けた」と思ってくれるようなものを作りたいと思っています

Q:このように聞きしていると、やはり平出社長ご自身のお人柄が如実に  反映された組織になっているなと感じるのですが、平出社長のこのような  お人柄を形成されたバックボーンはどんなとことにあるのでしょうか?

自分の生き様を通して日台を近づけた民間外交間としての母の存在

やはり母の存在がとても大きいと思います。私の母は昭和8年生まれで自分や40過ぎてからの子なのですが昭和30年代には日本にやってきました。
当時の日本での生活はそれはたくさんの苦労があったと思います。 恐らく当時はアジアに対する差別などもあったのではないかと推測しますが、母は帰化しても尚周囲の人には「自分は台湾人だ」と誇りを持って語っていました。
帰化面接時に外務省の担当官の方から「もし台湾と日本で戦争になったらあなたはどちら側につきますか?」となんとも奇妙な質問があったそうです。
その時母は「あなた何を馬鹿なことを聞くんですか。台湾に決まっているじゃないですか。」と即答したそうです。 それでもちゃんと帰化は通ったそうですが(笑)、それだけ台湾人であるということに誇りを持っていたのですね。
母は年に1、2度台湾に帰国する際も必ず日本の友人を連れて行っていました。 母の周りで台湾のことを悪く言う人は誰もいませんでしたし、皆母を通して台湾を好きになっていたようです。 葬式の時には400人を超える弔問客が来てくださいました。
その時、ふと思ったんですね。これはもう外交官だな、と。 自分もこんな風になりたいと思いましたね。 私は日本人ですが今台湾にいます。母とは逆の立場ですが、「日本」のフラッグを立てて生活をしていると思っています、台湾の方は自分の行動の後ろに日本を見ているのだと思っています。
それにもちろん台湾で生活させてもらっているわけですから、自分がいることによって、少しでも台湾の社会に貢献ができればよいと思っています。
台湾の友人にソウジが台湾に来てくれて本当に良かったといわれたいですね。そして少しでも日台の橋渡しができることが母に近づくことでもあるのかなと思っています。

 日台融合象徴としての「乾杯」

台湾で経営する日本人としてこの上ない評価だと思って嬉しく思っているエピソードがあるんです。 良く台湾のお客様が海外のお客様を連れていらっしゃるのですが、普通は台湾料理とか小龍包とか屋台とか連れて行かれますよね。
ところがあるお客様は必ず「乾杯」に連れてこられるのです。 そこでなぜわざわざ「乾杯」までいらっしゃっていただけるのですか?とお聞きしたところ、「乾杯」にこそ台湾人の気質、即ち、おおらかさ、あったかくて、気前が良いといった台湾人の良さが詰まっているんで、ここへお客様を連れてくるのが一番手っ取り早く台湾を実感してもらえるのだということだったんです。
いや~、嬉しかったですね。 そうか、自分達は日本のフラッグを持って商売をさせてもらっていると思っていたら、いつの間にかもう一つ台湾のフラッグも持って商売させてもらってたんだ、と。
今や仲間内で話しているのは台湾発の文化として台湾のフラッグを持って海外に発信していけたらと盛り上がっているところなんです。

Q:是非その今後の展開のところも詳しくお聞かせ下さい。

 焼肉居酒屋・牛肉という2つのキーワードでの発展

画像の説明

現在は焼肉店を広げていくという発展の仕方、もう一つは牛肉を多く扱っているので、牛肉を切り口に新たな発展を模索していく方法と2つの方向性を考えています。
焼肉店にも多種多様な業態がありますので、目下一番新しい店舗では従来の乾杯とは違うものをやらしてもらっています、焼肉店にもいろんなパターンがあるぞということをわかっていただきたいと思っています(編集注:乾杯では、居酒屋スタイル、BARスタイル、高級店の3つの業態があり、最近の出店では台北/微風広場店の焼肉&葡萄酒 Wine de Kanpaiなど、新業態をリリースしている)。

 5年で5億の計画が3年以内に達成?

去年より中和にセントラルキッチンを構え、ある程度の多店舗展開に対応できるようにしました。 今年は4店舗の出店で計12店舗となりました。 実は2009年の中期経営計画で2008年に約1.7億だった営業額を約3倍の営業額5億にしようという目標の掲げて現在が2年目なのですが、このペースで行くと3年目となる来年の2011年には達成できるだろうと予測しています。

 海外展開はシンガポール、マレーシア、タイを標準

実は中国とはまだご縁を頂く状態にはなっておらず、シンガポール、マレーシア、タイなどの東南アジア各国とは具体的なご縁があり、出店する計画を持っています。 外食は小売などと違って席数があるため、売上に天井があるので、100席なら一度に最大100人のお客様しか対応できません。
そのように考えるとマーケットが云々というよりも、その国の人たちを本気で幸せに出来るかどうかの方が判断の上で重要になってくるように思います。

Q:最後に読者の皆さんに向けてメッセージを!

 自然体の心と生かされているという謙虚さ

これは自分自身に言い聞かせていることでもあるんですが、 うまく行っても喜ぶ必要も無いし、うまく行かなくても悲しむ必要も無いし自然体が良いんじゃないかと 思いますね(笑)。
台湾に来られる理由、来られた理由は様々だとは思いますが、この地に住む台湾の方から 必要とされる限りは存続できると思いますし、逆に必要とされなければ淘汰されて行く、ただそれだけ のことだと思うんです。
自分達は(台湾の人たちに)生かされているんだということを強く認識しながら、必要とされ続ける よう僕たちも皆さんと同じ立場のものとして努力し続けて行きたいと思っています。

どうもありがとうございました。

コメント


認証コード9186

コメントは管理者の承認後に表示されます。