2014年廣枝音右衛門氏慰霊祭レポート

台湾中部で今も続けられる日本軍人の慰霊祭

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2014年9月21日(日)、台湾中部にある台湾の12景勝地に選ばれている獅頭山の勧化堂にて、故廣枝音右衛門氏慰霊祭が行われました。
1976年から続く慰霊祭、そして2008年から続く弊社代表渡邊による企画の慰霊祭ツアーも今年で第7回目を迎えましたLinkBiz台湾としては関わらせて頂いてから第4回目となります。
天候はあいにく台風が台湾に上陸という状態であったにも関わらず、この日の慰霊祭の間は少し雨が降った程度でした。聞くところによると、去年の慰霊祭においても、台風が来ていたにも関わらず、雨は少ししか降らなかったらしく、やはりこの慰霊祭は何かの加護によって守られているのではないかと思えます。

日本人の慰霊祭が台湾で行われる背景

廣枝音右衛門大隊長

そもそもこの慰霊祭は誰のために行われ始めたのでしょうか?
それは第二次世界大戦時、マニラで台湾人日本兵を率いて守備についていた、廣枝音右衛門大隊長(以下廣枝隊長)のために行われ始めたのです。なぜ台湾で慰霊祭が行われるようになったのか?以下に簡単にではございますが、ご説明させていただきます。

1945年2月23日、第二次世界大戦の真っただ中、マニラの守備についていた廣枝隊長率いる台湾人日本兵の部隊は米軍に囲まれ絶体絶命の状態でした。そこで、廣枝隊長は部下である台湾人日本兵を守るため、自らが自決するという決断を下されました。

「お前達は台湾から来た者だ。家には妻子父母兄弟が待っているだろう。
連れて帰れないのが残念だが、お前達だけでも、生けるところまで行け。俺は日本人だから責任はこの隊長が持つ。」

これが当時、廣枝隊長が最後に言い残された言葉でした。
当時、日本軍司令部の命令は絶対であったにも関わらず、廣枝隊長の下された決断は何よりも人命を尊重したものであり、非常に気高い事であったと思います。

その後、米軍に投降し、無事に帰国できた廣枝隊長の部下が、その思いに報いたいと始められたのがこの故廣枝音右衛門氏の慰霊祭なのです。

劉氏と弊社代表渡邊の出会い

年月の流れとともに、有志が少なくなっていく中、2007年、戦中廣枝隊長の部下であった劉維添氏(以下劉氏)お一人で慰霊祭を行われた直後に、弊社代表渡邊が獅頭山を訪れ、劉氏と出会いました。
お一人になられても慰霊祭を続けておられる劉氏に感動し、翌年2008年より慰霊祭ツアーの企画が始まりました。
始めは数人でのツアーだった慰霊祭ツアーも、今では参加者が30人を超え、バスを借りる必要があるほどに規模が大きくなりました。

様々な慰霊祭参加者

今年も残念ながら台風の影響で、数名がキャンセルされましたが、それでも30を超える方々が参加してくれました。日本語世代を中心とした平均年齢80歳近くになる在台日本語学習サークル「友愛会」の皆様。日本語で思いを歌にする短歌サークル「台湾歌壇」の皆様。昨年に続き日本から駆けつけてくれた「日本李登輝友の会」の皆様。台湾旅行中の方や留学生の皆さん等、多種多様な方々、子供からご老人まで、非常に幅広い世代の方々にお越しいただけました。
LinkBiz台湾の呼びかけに応えてくださった方、
以前のツアーから引き続き参加され続けている方、
過去の参加者に呼びかけられた方、
様々な所で慰霊祭の参加を呼び掛けていただけているようです。
中にはオランダ人の方までもいらっしゃり、
日台の絆は想像以上に広がっているように感じられました。
バス内では、みなさんの自己紹介もあり、慰霊祭参加者同士がすぐに打ち解けられたように思います。

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獅頭山 勧化堂での慰霊祭

台風の影響による天候不良が懸念されましたが、獅頭山に着く頃には、ほとんど雨は降っておらず、台風の影響はほとんど感じられないくらいになっていました。高速道路が開通したおかげで、移動時間も30分ほど短縮され、非常にスムーズに獅頭山に到着しました。また、獅頭山では、南部からの参加者の方々が、わざわざ車で長い距離を訪ねて来られており、我々と合流した後に、共に獅頭山の勧化堂に向かいました。

ここからは、200段ほどの階段を上り、勧化堂を目指します。道中は短いですが、階段を上る間、風光明媚な自然や風情ある建物を楽しむことができます。
足の悪い方は貨物用エレベーターを使って上ることも可能です。

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勧化堂に着くと、まず応接室にて獅頭山勧化堂の董事長にご挨拶と勧化堂についてご説明頂きました。
その後、慰霊祭がとり行われました。渡邊による廣枝隊長への慰霊祭開始の報告の後、みなさんが線香を位牌に捧げ、しばし手を合わせ、住職の読経に耳を傾けながら、黙祷を捧げていました。その光景は、劉氏が亡くなられた後も、その絆のバトンが確実に渡邊の手に、そして次の世代に繋がっているという証明のように思えます。

南庄に移動

慰霊祭の後、バスに乗り南庄に移動し、劉氏宅で劉氏の位牌に向かって慰霊祭の報告をすると共に、みなさんで劉氏に黙祷を捧げました。
その後は、近くの料亭にて南庄料理を参加者全員で堪能しました。
野菜や肉、魚など様々な料理をたくさん出していただき、とても楽しい時間を過ごすことができました。

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食後はみなさんと南庄の日本統治時代の建物や場所を見に行きました。日本統治時代、第3代総督であった乃木総督とゆかりのある乃木坂や日本統治時代の郵便局、劉氏の奥様の実家である日本邸宅にお邪魔させていただきました。毎年恒例の邸宅の庭園にある松の木の下で集合写真を撮りました。集合写真撮影の後は、劉さんの親族の方がご厚意で我々に梅ジュースを出してくださいました。歩きつづけて暑くなっている我々にとっては嬉しい限りでした。

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その後は1時間半ほどの自由時間があり、みなさん思い思いに過ごされていました。
庭園で休憩される方、邸宅の外の学校等近辺を散策する方、市場で買い物をして美味しい物(お餅のような物や、白玉とフルーツの入ったかき氷、バラや梅花のお茶など様々な物があります)を堪能している方など、風情ある古い街並みの中、この休憩時間を非常に満喫しておられました。
この南庄の街は少し田舎で、個人では行くのが難しいかもしれませんが、慰霊祭ツアー以外でも来てみても、十分に楽しめる場所といえるでしょう。

一路台北へ

帰路につく頃には、さすがにみなさんもお疲れのようで、バス内で最後に感想を述べられた後、お休みになられている方もいらっしゃいました。子供さんにはこの一日のスケジュールはやはり少しハードだったのか、完全に熟睡されていました。

みなさんお疲れの様子でしたが、感想をお聞きすると「貴重な経験でした」、「来年も参加してみたい」等、今後の慰霊祭により興味を示していただけたように感じられるものが多く、非常に嬉しい限りでした。我々各々が劉氏の意思を継ぎ、この慰霊祭をどんどん若い世代に広め、日台の絆のバトンを渡していきましょう!

余談ですが、慰霊祭の間は台風の影響も感じず、雨もほとんど降らないという恵まれた天候でしたが、台北に着くころには雨が再び降りだし、雨の中での解散となりました。
きっと、天候から守ってくださっていた劉氏が、慰霊祭が無事終了したことに安心し天に帰られたので、雨がどっと降りだしたのだと思います。




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