銘茶には物語(ストーリー)がある! ~名も無き挑戦者たち『鉄観音』その2~【市島宋氏@台湾】

中国大陸に華やかな王朝文化が花開いた乾隆年間(1736年~1795年)には、市井の中にも喫茶の文化が広がり、茶の消費量、生産量共に飛躍的に増加した時期であった。
また、国内だけに止まらず、英国を筆頭として西欧諸国にまで広がった喫茶ブームを背景に、茶はまさに商品としての黄金時代を迎えつつあった。

福建省は茶の生産地であると同時に、厦門(アモイ)など港にも恵まれた茶の集積地であった。
とくに福建省北部の武夷山で作られる高級茶『岩茶』は、イギリス商人から高値で買われて遠く海を渡って行くのである。
当時のアモイの港は相当な賑わいを呈していたことだろう。

そのなかで、武夷山の後塵を長年拝し続けていた産地が安渓である。
安渓の茶は、当時『清水茶』または『留山茶』と呼ばれ、生産量こそ多かったものの低級茶であり、安く買い叩かれていた。

茶の生産だけでは生活できない安渓の人々は、アモイの港に近い事も大いに関係していたのだろう、船荷の仕事や海を渡り東南アジアへの出稼ぎに行く者が多かった。
後にこれらの人々が華僑として活躍してゆくのだが、当時の安渓の茶農家達も日々高まる茶の需要を黙って見過ぎすようなことはしなかった。
彼らは今までの低級茶のメージを払拭するべく、新商品『鉄観音』の開発に乗り出したのである。

現代に生きる我々は、彼らの挑戦が見事に成功し『鉄観音』が烏龍茶の高級ブランドとして定着していることを既成事実として確認できる。
彼らの挑戦が成功すべくして成功したなどと感じることは、後世に生きる我々の特権だということをふまえた上でも、実は当時の安渓の茶農家たちには、それに近い十分な勝算があったのではないかと思われてならない。

なぜならば、すでに茶葉の生産量自体は多く、また現代でも言われるように安渓の土地は茶の生育に非常に適しているのである。
少し詳しく紹介すると、土壌は茶の生育に理想的な弱酸性であり、周囲に点在する山々はまるで古墳のようにゆるやかに隆起しているものが多い。
これは、峻険に切り立った武夷山系に比べて日照時間の長さを保証し、さらに水はけが良いことを意味している。
もしこの土地を本格的に耕作することができれば、武夷山を越える産地に成長できると考えたのだ。

さらに安渓は、当時の茶の集積地であり国際港でもあるアモイと100km圏内に位置しているのだ。
これは、アモイから約500km以上離れている武夷山と比べると運送コストだけでも強大なメリットに成り得た。

よく、物事が成就するためには『天の時』『地の利』『人の和』などと言われるが、当時の安渓には、茶が世界的な商品に成長を遂げつつあるという『天の時』。
さらに『地の利』が揃っていたことになる。解決すべき重要課題は、高級茶に相応しい商品を作るための「製茶技術」まさに人間に属する課題なのであった。

この課題に対して安渓の茶農家達は極めて合理的な方法を用いたようで、乾隆28年(1763年)に発行された『泉州府志』には次のような記述が見られる。

「渓茶、遂に岩茶の様を倣い、先に炒め後に焙じ差を争わず。」

「先に炒め後に焙じ」とは、現代の烏龍茶とも共通するもので、醗酵が完了した茶葉に熱を加えることで酵素の働きを止める【殺青】を行った後に、水分を飛ばし香りを高めるための【焙煎】を行う製法である。
安渓の茶農家達は、武夷の高級茶『岩茶』の製法を模倣することで『岩茶』に劣らない商品の開発に成功したのだった。
『鉄観音』誕生の瞬間とも言える。

誤解が無いように追記するが、製茶方法の模倣は合理的ではあるが決して簡単なことではない。
武夷山と安渓では原料となる茶葉の品種が違うからである。
品種に合った製茶が行われてはじめて価値ある香りが生まれるのであり、そのためには『鉄観音』の作地拡大を目的とした各農家への説得など、製茶方法を研究する以前の環境整備も必要だったであろう。
また、原料の茶葉は1年中存在しているものではない。
年間約4回の収穫時期にのみ試作が可能なのである。これらのことを考慮してみても『鉄観音』に合った製茶方法が確立するまでには、地道な努力と多大な時間が費やされた筈なのである。
ちなみに伝説の中の話ではあるが、『鉄観音』の苗木が発見されたという1720年前後から数えてみても40年以上が経過していることになるのだ。

安渓茶がいつから『鉄観音』の名で販売開始されたのか、残念ながら私の手元にはそれを知る資料は無い。
上記の『泉州府志』にも記載がないとすれば、『鉄観音』の商品名が広く市場に知れ渡るにはもう少し時間が必要であったのだろう。
もしくは、『鉄観音』という商品名はもう少し後に思いついたのかもしれない。

ただ、この前後から安渓出身者が海外で茶の商売を始めるケースが現れてくる。
故郷の茶に商品としての確信を得た人々が、海外市場に自ら打って出たのである。
私は、これこそ『鉄観音』の世界デビューの第一歩であったと確信している。
そして、いち早く海外市場に注目した彼らこそ、後にまさしく『鉄観音王国』を築き上げることとなる『王』一族だった。

満を持した『鉄観音』の進撃がついに始まったのだ。(つづく)

著者紹介

市島宋氏:台湾福茶代表

市島宋

1974年、宮崎県生まれ。宮崎産業経営大学卒。
スポーツインストラクターを経て、国内のエンジニア派遣会社に入社。主に台湾、韓国、アメリカで数多くの半導体・液晶パネル工場立ち上げに携わる。
2000年、偶然口にした一杯の烏龍茶に魅せられてお茶の世界へ転身、台湾省 茶業改良場の有機栽培研究員と共に約2年間現地の茶農家を渡り歩き茶業全般を 学び2003年に台湾福茶を立ち上げる。
現在も台湾を拠点に、馴染みの茶農家 達とお茶を作りながら活動している。

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