台湾茶が教えてくれた『老』(ラオ)の観念【市島宋氏@台湾】

先日、馴染みの茶農家を訪ねたら、ちょうど帰省中だった彼の息子さんと久し振りに再会することができた。

彼は、私がこの茶園に宿泊しながらお茶作りを学んでいるときは小学4年生だったと記憶している。
彼が中学校に入学する頃には、まだ歩き始めたばかりであった私の長男の面倒を良く見てくれていたものだ。

今では見上げるほど背が伸びて、若者らしくスラリと伸びた手足が印象的な好男子は、やがて精悍な偉丈夫となるのだろう。
現在は台湾南部にある消防士の専門学校で訓練を重ねていると言う。

立派になられたものだと感心しながら良く考えてみると、先出の私の長男も小学3年生になるのだった。
子供達の成長から確実に時間が流れていることを実感させられてしまう。まさに10年ひと昔とはよく言ったものだ。

共に月日を重ねた面々と、今も変わらぬ茶の香りを重ねて昔話に花を咲かせていると「あ
なたはなぜ台湾茶の世界に入ろうと思ったの?」と今更ながらの質問を受けて思わず笑ってしまった。

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理由の一つは極めて単純で、この感動的な台湾茶の香りを日本に広めたいと思ったからだ。
もう一つの理由は、それまで考えたことの無かった『老』という観念に出会ったからだと思う。

一般的に、我々日本人は『老』という言葉にどのようなイメージがあるだろうか?
格式の高さを感じさせる『老舗』は良いにしても、当時の私には『老化』や『老廃物』等あまり良いイメージを想起することができなかった。

ところが、お茶の世界では『老』にこそ価値があるのである。
例えば、長い歳月をかけて熟成された『老茶』(ラオチャ)というお茶は、香りは熟した果実のように濃厚で、口に含めば舌の上でとろける様な甘さ、旨味を堪能することができる。
通の好む高級茶で、価格も天井無しの様相を呈し、同じ茶園から作られた新茶と比べても3~6倍、またはそれ以上の値が付くことさえある。

茶葉だけではない、お茶を淹れるための道具でさえも『老』に価値を置く。
例えば、日本で言うところの急須は『茶壷』(ツァーフウ)と呼ばれ、長い歳月をかけて大切に使われ続けたものは『老壺』(ラオフウ)と呼ばれて重宝される。
お茶をよく嗜む家では、世代を超えて使われ続けている『老壺』を使い、とっておきの茶を淹れてお客様に振舞うのが最高のおもてなしだ。

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古い道具と言えば日本にも台湾にも骨董品は存在するが、こと『老壺』に関しては常に現役として使われ続けるところが一味違う。
なぜならば茶壺は、日々使い込むことで茶の成分がだんだんと素焼きの面に染みこんで何とも言えない光沢と色合いが醸し出されてゆくからだ。
また、使えば使うほど茶壺が馴染み、さらに美味しいお茶を淹れることができるのだ。

茶を嗜む人々は、この『養壺』(ヤンフウ)【急須を育てる】と呼ばれる過程を楽しむのだが、当時の私は、日々の生活の中で『養』を重ねつつ『老』という価値を形作って行くという観念に大きな感銘を受けた。

台湾茶を通じて知った『老』の観念は、経年による逃れられない機能の低下とその先に辿り着く停止ではなく、経験の積み重ねによる情報の獲得と集約の過程、またそれに伴い自らの有り様の変化を受け入れる態度である。
そう思えた途端に一種の開放感のようなものを感じることができたのだ。
それは自身をどのように養い『老』を重ねていくか選択の自由を手にしたことと同じであったと思う。

10年前の私にとって、生業と人生の相伴を同時に獲得することができるとすれば、台湾茶の世界に飛び込まない理由など無かったのである。

著者紹介

市島宋氏:台湾福茶代表

市島宋

1974年、宮崎県生まれ。宮崎産業経営大学卒。
スポーツインストラクターを経て、国内のエンジニア派遣会社に入社。主に台湾、韓国、アメリカで数多くの半導体・液晶パネル工場立ち上げに携わる。
2000年、偶然口にした一杯の烏龍茶に魅せられてお茶の世界へ転身、台湾省 茶業改良場の有機栽培研究員と共に約2年間現地の茶農家を渡り歩き茶業全般を 学び2003年に台湾福茶を立ち上げる。
現在も台湾を拠点に、馴染みの茶農家 達とお茶を作りながら活動している。

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