2013年廣枝音右衛門氏慰霊祭レポート

台湾中部で斎行される日本軍人の慰霊祭

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去る2013年9月21日(日)、台湾12景勝地に選ばれる風光明媚な獅頭山の勧化堂にて故廣枝音右衛門氏の慰霊祭が斎行されました。
今回は弊社代表渡邊(以下渡邊)が廣枝音右衛門氏慰霊祭ツアーを2008年に企画してより6回目、LinkBiz台湾としてお手伝いをさせてもらって3回目となります。

日本人の慰霊祭が台湾で斎行される背景

1945年2月、マニラの守備についていた廣枝音右衛門大隊長(以下廣枝隊長)率いる台湾人日本兵の部隊は米軍に囲まれ絶体絶命の状態でした。
決死の突撃命令が出ている中、廣枝隊長は配下の台湾人日本兵達に向かって次の言葉を投げかけました。

「お前達は台湾から来た者だ。家には妻子父母兄弟が待っているだろう。
連れて帰れないのが残念だが、お前達だけでも、生けるところまで行け。俺は日本人だから責任はこの隊長が持つ。」

この言葉を最後に廣枝隊長は頭部を撃ち抜き自決しました。
その数時間後、台湾人日本兵達は米軍に投降し、その後無事に台湾へと帰国しました。
廣枝隊長は、この自決により自ら責任を取る形で、部下である台湾人の命を救い、彼らを台湾に帰したのでした。

その後、無事に帰国できた廣枝隊長の部下が、何とかその恩に報いたいと思い、1976年9月26日に初めての慰霊祭を執り行いました。
しかし、歳月の流れと共にその有志は数を減らし、7年前には劉維添氏(以下劉氏)お一人となってしまいました。それでも劉氏は毎年一度も欠かすことなく慰霊祭を執り行って来られました。

主催者である劉氏と弊社代表渡邊の出会い

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2007年の劉氏お一人による慰霊祭の直後に渡邊が獅頭山を訪れました。
劉氏がお一人となられても慰霊祭を続けられていることを知り、その事にとても感動したそうです。その翌年の2008年より、慰霊祭ツアーを企画し台北から知人を連れて慰霊祭への参列を始めました。
最初は有志3人でレンタカーを借りての参列でしたが、年を重ねるごとに共感し参列希望者される人が増え、レンタカーが中型バスになり、一昨年からは大型バスへと規模が拡大してきました。今年のツアー参加者は昨年より一層増え、立ち席も出そうなほどでした。
最終的に台風の影響で何名かのキャンセルが出ましたが、昨年より1名多い37名が慰霊祭に参列しました。

多種多彩な参加者たち

日本語世代を中心とした平均年齢80歳近くになる在台日本語学習サークル「友愛会」の皆様。日本語で思いを歌にする短歌サークル「台湾歌壇」の皆様。昨年に続き日本から駆けつけてくれた「日本李登輝友の会」の皆様。台湾旅行中の方や留学生の皆さん等、多種多様な方々にご参加頂きました。
また、最年少は3歳、最高齢は87歳と幅広い年齢層のツアーとなりました。

ツアーの参加に至った経緯も多種多様で、
LinkBiz台湾の呼びかけに応えて下さった方々、
以前のツアーに参加され、引き続き参加されている方々、
過去の参加者の呼びかけに応えて下さった方々、
高雄のゲストハウスからの告知で情報を得た方、
ChannelAJERが運営する政治経済専門Web放送サイトで流れた渡邊のインタビュー動画を見た方等、日台の絆をつなぐ活動の輪がどんどん広がっていることが実感できました。

台風の影響を受け不安な天候の中、獅頭山へ出発

集合時、台風19号接近の影響を受け、当日台北の朝の天気はあいにくの雨でした。 時折強い風が吹き、慰霊祭の実施に不安を覚える天候でした。
LinkBiz台湾では、ツアー参加者の皆様が少しでも濡れないようにと雨合羽を大量に準備して、集合場所へと向かいました。この天候にも関わらず、若干名の方のキャンセルのみで、小雨の降る中、ほぼ満席状態で台北駅を出発しました。

''バスの中での自己紹介。バスは順調に獅頭山へ到着

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バスの中ではツアー参加者全員が自己紹介を行い、慰霊祭への思いを共有しました。
そして、渡邊がLinkBiz台湾で連載している「日台絆のバトンリレー」のコラムをはじめ、友愛会所属の傳田晴久氏による「臺灣通信」で発表されたコラムや、ノンフィクション作家門田隆将氏による書籍「太平洋戦争最後の証言 陸軍玉砕編 第二部」から廣枝隊長について書かれた章などを紹介し、この慰霊祭に関連する史実を共有しました。

途中の待ち合わせの場所にて南部からのツアー参加者1名を加え、獅頭山へ向かいました。
待ち合わせ場所に到着するころには、不思議と雨は上がり、獅頭山へ到着したころには地面も乾いている状態でした。一部青空も見え、何かのご加護があったのかと思うほど、台風の影響は感じられませんでした。

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台湾12景勝地にも数えられている獅頭山へ登山開始

獅頭山の駐車場から勧化堂へ続く階段はちょっとした登山です。
200段ほどの階段を上り10分ほどで慰霊祭会場である勧化堂に到着します。
普段運動不足な方々には調度よい運動です。
登山に自信のない方々は貨車用のエレベータで山中にある勧化堂へと向かいました。

突然の訃報

勧化堂に到着し、廣枝隊長の位牌を参拝している時に、渡邊より突然の訃報が告げられました。慰霊祭主催者の最後の一人である劉氏が今朝方1時20分にお亡くなりになったということでした。突然の訃報に一同言葉を失くします。
しかしすぐに皆、このバトンを次に繋げなければならないという意思で気持ちを強く保ちます。昨年同様に、慰霊祭に参列するという立場から慰霊祭を主催するという立場へと気持ちの変化が自然と広まりました。

獅頭山董事長黄錦源氏を囲んでの座談会

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突然の訃報もあり、急きょスケジュールを変更しました。
慰霊祭後に予定していた本慰霊祭に関する座談会を先に行いました。
以前は劉氏ご自身に説明して頂いていましたが、今年は劉氏に代わって、その活動を近くで見守ってきた黄氏より説明を受けました。

獅頭山のご住職による読経のもと慰霊祭の開始

昨年までは、劉氏から廣枝隊長への報告がなされていましたが、今年からは、渡邊が行い、
「廣枝隊長!! 劉氏に代わり、これから45年間、私が慰霊祭を執り行います。」
と宣言しました。

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各団体の代表者が線香を捧げ、弔辞を述べました。
まさに劉氏からバトンが次の世代へ繋がった瞬間でした。

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その後、獅頭山のご住職による読経に耳を傾けながら、一同全員手を合わせて拝みました。

バスで南庄へ移動

慰霊祭の後、バスで10分ほど先にある南庄という街に移動しました。#show(auto-N1hThv.png,aroundr,,20131206廣枝音右衛門8)
50年以上の歴史ある老舗客家料理店「老金龍」にて客家料理を堪能しました。
通常の台湾料理より濃い目のパンチの効いた味付けに、多くの方がご飯をお代わりしていました。
台風で休みの予定であったところ、我々ツアー一行のためだけに店を開け、おいしい料理を振る舞ってくれた店主に御礼を伝え、店を出ました。

劉氏の遺影に慰霊祭の報告

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「老金龍」から歩いて数分のところに劉氏のお宅があり、そこで劉氏の遺影に向かって順番に黙祷を捧げました。ご遺族の許可もあり、ご遺体に対面させて頂くことができました。劉氏が安らかに眠るお姿を見て、一同涙しました。今後は廣枝隊長と共に、我々をお見守り頂けることと思います。

南庄の街を探索

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その後は南庄の街を探索しました。日本統治時代、第3代総督であった乃木総督とゆかりのある「乃木坂」を登り、当時の郵便局を観光しました。
そして、毎年恒例となっている郵便局の向かいの日本邸宅を訪れました。

実はこの日本邸宅は劉氏の奥様の実家であり、毎年ツアー参加者は特別にお邪魔させてもらい、素晴らしい庭園を拝見させてもらっています。

日本時代からある松の下で記念撮影。長崎の眺めとそっくりだという景色を楽しみました。
それからは、抹茶味のかき氷を食べたり、老街といわれる古くからの商店街を探索したりと、思い思いに時を過ごしました。

一路台北へ

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一同、バスに乗車して一路台北へと帰路につきました。
帰路のバスの中ではツアー参加者の皆様に感想を発表して頂きました。
やはり、台風にも関わらず好天気となったこと、劉氏が慰霊祭の開催日に亡くなられたことについて、何かの意志の力を感じるという声がたくさん聞かれました。
そして各々が劉氏の思いを引き継ぎ、この慰霊祭を継続し、広め、次の世代へと繋いでいこうという強い意志を発表してくれました。
途中の竹南駅と楊梅のインターチェンジで一部のツアー参加者がバスを降りました。台北駅に着くころには、今まで降らなかった雨が降り出し、雨の中解散となりました。

最後に、LinkBiz事務局より

バス中ではツアー参加者の皆様よりねぎらいの言葉を頂き、誠にありがとうございました。2013年の慰霊祭は、劉氏から次の世代へとバトンが受け継がれた重要な回であり、 その瞬間に立ち会えたことと、そのお手伝いをすることができたことを、心から嬉しく思います。受け継いだバトンを更に次の世代へと受け継いで行く。そのためにも、今後もこの企画を継続し、皆様のお役に立てるよう努力して参ります。
以上、現地ツアーレポートでした。


劉維添氏の葬儀は苗栗縣南庄にある劉氏自宅にて2013年10月3日(木)の9時より執り行われます。ご参列を希望される方はLinkBiz台湾事務局(mail: info@linkbiz.tw 日本語ホットライン02-2568-2334)までご連絡ください。詳しい情報をお知らせいたします。''''


記:
台北へ向かうバスの中、友愛会の張文芳氏より「今日の感想を記録に残そう」という提案を頂きました。早速その提案にお応え頂いたツアー者の皆様からご感想が届いております。
下記に紹介いたします。
(ご感想が届き次第追加して参ります。)

 ●感想(傳田晴久 様)
廣枝音右衛門警部慰霊祭に参加して(感想): 私は2回目の参加です。昨年初めて参加させていただき、廣枝音右衛門警部がなされたこと、即ち多くの部下、台湾人兵士の命を救い、自らは責任を取り自決されたことを知り、心打たれました。そして、警部の部下、劉維添氏が戦後の厳しい政治的環境の下、上司の「死」に報いるために永きに渡って慰霊のお祭りをなされていることを知り、感動いたしました。さらに警部の慰霊を黙々と進められる劉維添氏の後姿を見、氏の志を継ごうと決意された渡邊崇之氏にお目に掛り、心を洗われる思いをいたしました。

昨年の慰霊祭の帰途、車中で我々は2つの約束をいたしました。第一のお約束は、この慰霊祭、台湾の兵士の命を救った日本人を、慰霊し続ける台湾人、さらにその後ろ姿を見て志を引き継いでいこうと決意された日本人の存在、此の民族をまたがって引き継がれる美しい、有難いリレーを、此のリレーを絶やすことなく、若い台湾人、日本人に伝えていくことの重要性を観じ、次回すなわち今年慰霊祭には日本人台湾人を問わず若い人を連れてこようと言う事でした。残念ながら私はお約束果たせず、今回も一人で参りました。

第二のお約束は、昨年の慰霊祭の日に心臓発作を起こされた劉維添氏が、「自分は年をとり、何時まで慰霊できるか分からないが、来年も慰霊祭をやりたい、私を生かしてください」と仰いました。劉維添氏を励まそうと、皆さんで劉維添氏に手紙を書きましょう、という約束をしました。私は少々遅れてしまいましたが、廣枝音右衛門警部、劉維添氏、そして渡邊崇之氏の3人の絆のリレーを題材にした「台湾通信」を書き、劉維添氏にお送りいたしました。

その後、「台湾通信」を書くたびに劉維添氏にお送りしておりますが、先日お手紙を頂戴いたしました。今年の慰霊祭では劉維添氏にお目に掛り、私の拙文「台湾通信」を題材にお話しできることを楽しみにしておりましたのに、嗚呼なんということでしょう、今日の午前1時20分に逝去されたとは。有難いことにご遺体との対面が叶いました。そのお顔は大変穏やかなものでした。きっと西の彼方で警部にお会いなさっていることでしょう。

此の度は劉維添氏と言葉を交わすことはできませんでしたが、氏のお顔を拝し、氏が続けられた慰霊のお祭りとそれを繋いでいこうとされる渡邊崇之氏のお心、並びに今日集まられた数十人のお心を思う時、皆様と共につないでいこうとする絆の尊さを感じました。この慰霊のリレーは今日ここで途切らせてはいけない、若い台湾人、並びに日本人に引き継いでいかねばならないと思いました。

皆様、一人ひとりできることは限られています。私はもう既に70を超えておりますが、私にもできることはきっとあると思います。皆様、自分でできることで結構ですから、やろうではありませんか。先ず、今日ここに集い、体験し、思ったことを感想文として、記そうではありませんか。それを読んで下さる台湾の人々、日本の人々がきっと何かを感じてくれるはずです。その中から、きっと来年の慰霊祭に足を運んでみようという方が現れる筈です。

渡邊さん、坂端さん、劉維添氏の志を引き継いでいくことは実に大変なことと拝察いたします。志を同じくする人々を糾合し、何とかこの難しい活動を続けてまいりましょう。どれほどの事が私に出来るか分かりませんが、少なくとも慰霊祭への参加、慰霊祭のPR活動のお手伝いくらいはできると思います。どうぞよろしくお願いいたします。

(文責在傳田晴久)

 ●感想(大星雅司 様、大星陽子 様、大星美津樹 様)
慰霊祭ツアーの感想
今回初めてツアーに参加しました。家族三人で参加できて良かったです。
広枝氏の史実を知りえたことは、日本人の先達の背中を見せていただいたようで、日本人としてとても誇らしい気持ちになりました。
今回、台風が迫るなかでの好天に恵まれたこと、慰霊祭の日、正にその日
に劉イテン氏が天に召されたこと、とても運命的なことを感じました。
そして、そこに居合わせたという事実に何がしかの責任感を感じました。 昭和も20世紀も知らない娘は、まだ今回のことは、すべて理解できていないと思うけれど、
写真などを見ながら説明し、娘の同世代の子にも伝えて行きたいです。
そして日本人として誇り高く生きていって欲しいです。

大星雅司
大星陽子
大星美津樹

 ●感想(片倉佳史 様)
慰霊祭ツアーの感想
現在進行形で紡がれていく日台歴史秘話
 このたびはもろもろのご配慮をいただき、ありがとうございました。貴重なひとときを皆さんと過ごすことができましたこと、改めてお礼申し上げます。
 私が渡邊さんと最初に獅頭山を訪ねたのは2008年のことでした。今でも劉維添さんのお姿、特に隊長の位牌に向かい合ったときの後ろ姿を鮮明に覚えています。それから5年、劉さんとのお別れの日が来てしまったことは筆舌に尽くせない寂しさを感じます。
 先ほど、これまでの訪問時に撮影した画像を眺めていたのですが、劉さんは非常に表情が豊かで、それぞれのカットを見ていると、どんな話をしていたのか、すぐに思い出すことができます。笑顔の絶えない穏やかな方でしたが、自らの記憶をたどって思い出を語るとき、時には厳しく、時には寂し気で、しかし、自身の生きざまについては、常に「誇り」のようなものは醸し出していた。そんな様子が目に浮かびました。
 今年の集合写真はそんな劉さんがいない一枚になってしまいました。しかし、今後は渡邊さんがその意思を受け継いでいくということで、きっと劉さんも天国で目を細めていると思います。そして、慰霊祭に参列された方々の心のうちに、劉さん、そして廣枝隊長の「心」は確実に宿り、受け継がれていくものと思います。
 振り返ってみれば、慰霊祭を一人で執り行なうことになってしまったその年に、渡邊さん、三宅教子さんと三人で獅頭山を訪ねたのも、やはりご縁なのでしょう。劉さんは位牌に向かい合った際、「隊長、今年もこの日がやってきました・・・」と語りかけていましたね。その毅然としたお声が、こうしている時も脳裏によぎります。来年からは劉さんの魂が渡邊さんに乗り移って、その言葉を言わせるのでしょうか。
 戦時下のマニラ、そして、30年にもわたって部下たちが行なってきた慰霊祭。これらは過ぎ去ったエピソードでありながらも、「現在進行形の日台交流秘話」なのだと思います。天国で廣枝隊長と再会を果たした劉さんは、今、どんなお話しをされているのか、興味が尽きないところです。劉さん、どうぞ安らかにお休みください。合掌。

片倉佳史

 ●感想(片倉真理 様)
渡邊様、坂端様
 例年お忙しい中、慰霊祭ツアーをアレンジしていただき、ありがとうございます。毎年必ず実行していくのは並大抵のことではないと思います。改めて渡邊さんと坂端さんのご尽力に感謝の気持ちを述べさせていただきます。
 わたくしはこれまで慰霊祭に三回参加させていただきました。昨年はツアーに参加することができず、後日友人と訪れ、劉維添さんにお会いしました。その日の劉さんはとてもお元気なご様子で、近くの山に残る日本統治時代の石碑まで案内してくださいました。あのやさしくて深みのある眼差しやお声は脳裏に焼きついて離れません。
 廣枝隊長が極限の状態においても部下の命を第一に考えたこと。そして、その思いに応えるように、戦後七〇年を過ぎても隊長を慕い続けた劉維添さん。さらに、今、劉維添さんの思いを引き継ぎ、こうして慰霊祭ツアーを行なっている渡邊さん。その人間と人間との心の絆には感動を覚えずにはいられません。当時を知っている方はいなくなってしまいましたが、今後もできるだけ慰霊祭に参加し、微力ながらも劉さんの思いを引き継いでいきたいと思います。最後に改めて劉維添さんのご冥福をお祈り申し上げます。

片倉真理

 ●感想(飯田 秀 様)
 皆さん今日は大変お世話になりありがとうございました。
今日渡邊さんから劉さんがなくなられたと聞き私はすぐに劉さんはきっと私たちのために今日まで頑張って生きてくれたのだろうと思いました。
私は今まで色んな人の死に出会いましたが多くの人が会いたかった人が来ると同時に力尽きてなくなられました。
私は劉さんに今日まで頑張って生きてくれたことに感謝したいと思います。

   飯田 秀

 ●感想(劉淑玉 様)
皆さんこんにちわ。わたし淑玉です。すみません日本語が話せません。中国語で話します。

今天出門下著雨、出発後一路天気晴朗、真是出乎意料之外、心情也開朗起来。
今天来到苗栗獅頭山、経由勸化堂董事長黄錦源先生簡単解説,才瞭解廣枝音右衛門軍官的偉大情操。值得後人敬拜。
劉維添長輩用心守護靈塔。使得台日両国的情感更加緊密。今天到劉家靈堂祭拜、也表達対他的感謝之意。這是我第一次和這麼多的日本友人一起旅行、是很特別的回憶。可惜不會說日文很抱歉,以後會加強練習,謝謝大家。

   劉淑玉

  (日本語訳)
今日家を出たときは雨が降っていましたが、出発したらずっと大変いい天気で本当に思いもよりませんでした。おかげで気持ちも朗らかになりました。
今日苗栗の獅頭山に来て,勸化堂の董事長黄錦源さんに簡単な解説をしていただき廣枝音右衛門軍官の偉大な行いを知りました。本当に後の人に敬拝される値打ちがあると思います。劉維添さんは心を込めて霊塔を守ってくださいました。このことは日本と台湾両国の絆をさらに強いものとしました。今日劉家の祭壇にお参りし感謝の意を表しました。
このことは私が初めてこんなにたくさんの日本人の友人と旅行し良い思いでとなりました。惜しいことですが日本語が話せなくてごめんなさい。今後もっと練習します。皆さんありがとうございました。

 ●感想(金光 様のブログより)
【2013年中秋節台湾ツアー】その2 広枝音右衛門警部慰霊祭 前
【2013年中秋節台湾ツアー】その3 広枝音右衛門警部慰霊祭 後

 ●感想(宮崎妙子 様)

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 ●感想(吉村剛司 様のブログより)
台灣特搜百貨店 http://www.katakura.net/xoops/html/modules/wordpress/index.php?p=1337

●下記産経ニュースの記事が日本李登輝友の会のメールマガジン日台共栄第1962号で取り上げられました。http://melma.com/backnumber_100557_5903881/)
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台湾有情 日台つなぐ慰霊祭

 ●感想(張文芳 様)
廣枝警部の慰霊祭に寄せる想い
私は、2002年ごろ『台湾と日本・交流秘話』(展転社出版)に藤本隆之さんが執筆した4頁ほどの“獅頭山権化堂に祀つられた広枝警部”記事から廣枝音右衛門警部の事蹟を初めて知り得ました。日本統治時代、台湾にはこのような日本先人の美談が数多く残されており、広枝警部の物語もその一つとして受け止めていました。

渡邊崇之さんが友愛グループに入会なされたのは、2009年4月でした。同年9月19日の月例会の2日前、広枝警部の犠牲で多くの台湾人部下が玉碎せずに台湾へ生還を果たした部下たちが、1976年9月26日、獅頭山権化堂に命の恩人・広枝警部の位牌を祀り、日本からも関係者を招いて慰霊祭を行なっていたが、その部下の方々もほとんど亡くなり、今では劉維添先生が一人で慰霊祭を続けておられるというE-メールを整理して『広枝音右衛門警部を語る―元部下だった劉維添先生』と『台湾人部下五百名の命を救った広枝音右衛門警部の事蹟』と題したA5版8頁のパンフレットを友愛グループ会員に配付し、9月26日の慰霊祭に参加する会員を募集したところ、18名が参加を申し込みました。

一方、渡邊崇之さんは何と9月22日にマニラへ飛び、広枝警部自決の現場と思しき場所へ足を運び、台湾にいる劉維添先生と携帯電話で問い合わせ、確認しながら正確な現場を突き止め、そこの土を台湾に持ち帰り、26日の慰霊祭で権化堂と劉維添先生に手渡し、新たに広枝警部の霊前に奉祀されました。

当時、すでに僅か一人の生存者になった劉維添先生は88歳の高齢でしたが、背筋のしゃんとした立派な紳士で、氏は命の続くかぎり広枝警部の慰霊祭を続けるとおっしゃられたことを私は覚えており、以上が廣枝音右衛門警部慰霊祭参加一回目の印象でした。そしてこれらの記録を当時の友愛グループの資料、月例会開催報告に留めております。 続いて翌年の9月下旬には二回目、2011年の9月下旬には二回目までは小型バスでの慰霊祭ツアーで、参加者はほぼ20名前後、私は毎回欠かさず参詣させて頂いております。三回目からは参加者が倍以上増え、大型観光バス利用となりました。

四回目の昨年は友愛グループが10名、台湾歌壇メンバーが8名、その他16名合計40名の大勢となり、大型観光バスで獅頭山に向かいました。91歳を迎えた劉維添先生は当日朝、心臓発作を発症、急きょ病院で治療を受けられた為、慰霊祭には出席が適わず、慰霊祭終了後、私たち一行は南庄郷のご自宅で、病院から一応回復して戻られた劉維添先生とお会いし、はっきりした口調で「慰霊祭で出られなかったのは残念だが、来年も引き続き広枝隊長(劉さんはいつもこのように呼んでおられました)の位牌を守っていきます」と話されたのが、私たちが聴いた劉維添先生の最後のお言葉でした。

台北へ戻る車上で「劉維添先生に感謝のお手紙を差し上げてはいかがでしょう」と皆さんに呼びかけました。それも劉維添先生に差し上げるお手紙としては最初であり、最後でもありました。

そして今年の9月22日の慰霊祭行のバスが目的地に到着する直前、ご機嫌伺いをされていた渡邊さんの携帶に劉維添先生ご逝去の悲報が伝えられ、瞬時に一行40名を悲しみの底に落とし入れ、権化堂における広枝警部の慰霊祭は、劉維添先生とも永久(とわ)のお別れの場とも化してしまいました。慰霊祭の際、劉維添先生のご遺志を継承していく言葉も捧げられました。あの世では「広枝隊長、私もお傍に参りましたよ」の挨拶を交わしていることでしょう。

それにしても永年位牌を守護されていた劉維添先生が慰霊祭当日に旅立てられ、慰霊祭に馳せ参じた私たち一行に別れを告げるとは、真に奇しき邂逅としか喩えようがございません。

慰霊祭の後、南庄郷のご自宅で劉維添先生の御遺容を拝し、合掌して御冥福の祈りを捧げました。

今回の慰霊祭ツアーには遠くは日本東京から、この慰霊祭参詣が唯一の目的の方もおられました。その方・片木裕一さんは三回目の参加、反町佳生(そりまち・よしお)さんは今回が二回目の参加です。一昨年はお嬢さんとご一緒でした。その他、複数回参加の方も多くいらっしゃいます。

廣枝音右衛門警部の慰霊祭を企画、長年に亘って劉維添先生を労りながら、継続実施を行なっていらっしゃる渡邊崇之さんの義理堅さには心から敬服して止みません。

日本人の一過性でない、律儀全うぶりには頭が下ります。

来年も、そしてその後も体力が許す限り、広枝警部・劉維添先生の慰霊祭には参加いたすつもりです。
文末に昨年劉維添先生にお届けしたお手紙を添えて、慰霊祭の想い出を締めく
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